top of page
美術史についての
個人的解釈
(1)
「自然描写から造形表現への移行」について、自然描写、つまり自分の外側にある世界を画面上に再現しようとする絵画はフェルメールの段階ですでに頂点に達していたと思います。
その後、写真の出現と発達により、自然を描写し画面上に再現するという絵画の持っていた一つの大きな役割が徐々に写真に移行するようになり、絵画はその役割、存在意義を模索するようになります。それが「造形表現への移行」の大きなきっかけとなったのは明らかでしょう。
そして、この移行は19世紀の半ばから特に顕著になり、ヨーロッパ、特にパリを中心に始まり、そして20世紀の中頃(第二次世界大戦の前後)まで続きました。
始まりはクールベ、コローらの自然描写に対して、絵画の表現手段としての「色彩」に注目したマネ、モネ、ドガ、シスレー、ピサロら印象派の画家たちの出現です。
印象派の新しさは「色彩」を絵画を成り立たせる独立した一つの要素として認識したことです。そのことによって絵画は「固有色」から解放され、「色彩」は自然を描写する手段としてだけでなく、絵画を成り立たせる一つの要素として様々に使われるようになりました。とは言え、印象派は色彩は解放しましたが絵画の構図として従来通りの透視図法を基本としていたので、モネなど透視図法の使用法について様々な試みがあったにせよ、画家たちはまだ自然描写の延長上で制作を行っていました。
その後、「色彩」に続いて「形」を自然描写から独立させようという試みが行われるようになります。セザンヌは透視図法から離れ、自然を四角く切り取った窓のような絵画とは異なる、自然の再現ではない一つの独立した世界としての絵画をめざしました。そしてセザンヌ以降透視図法から離れた絵画表現を多くの画家が模索しました。中でもピカソ、ブラックらの立体派の作品は透視図法的な表現を意図的に徹底して排除しているように見えます。それでいて静物や人物など、何を描いたのかが分かる作品になっています。つまり伝統的な透視図法を使わずに如何にして現実を絵に描くかという、不可能と思えるような大変な試みを行っているように見えます。
立体派以降も自然描写から離れた絵画の模索は多くの画家によって続けられました。その結果、今日抽象絵画、抽象表現と呼ばれる具体的な意味のある形を持たない絵画表現が広く認知され広がることとなりました。
しかし、透視図法や具体的に意味のある形から離れてしまった絵画にはどのような意味があるのか。画家たちは何を拠り所にして絵画を制作すればよいのか、容易に答えの出ない非常に解決困難な課題に突き当たったと言えます。
ピカソは立体派的な探求を途中で放棄したように思えます。そして結局最後まで具象的な要素を含む作品を制作しています。
この絵画を自然描写から解放しようという試みに、一つの回答、一定の区切りをつけることができたのはクレーだったのではないかと思います。クレーは透視図法や具象的な形を単に拒否したり、否定したり、破壊したりするだけでなく、その代わりとなりうる秩序を持った絵画の在り方の一つを示すことができた画家だったのではないでしょうか。つまりそれが絵画とは造形表現であるという捉え方だったのではないかと思います。
bottom of page