top of page
TEXT とは
作品や制作活動について自分なりに言葉にできそうなことをここに書いておこうと思います。絵具や筆を使う美術の作品と言っても筆が勝手に動くのではなく、当然のこととして、何の考えもなく制作すること、制作し続けることはできません。そのような意味で、自分が制作し続けるために日々考えたこと、考えていることを書いてみます。美術史や個々の作家については誤認、誤解が多々あるかもしれません。できるだけ正確な知識、認識に基づいて考え、誤った点は修正しながら考えていきたいと思います。
最初に、自分が制作を続ける上で拠り所としている中心的な考えの一つを書いておきたいと思います。それは美術史について自分が持っている大まかなイメージです。その内容をできるだけ短く言うとすれば私の中では「自然描写から造形表現への移行」となります。
自然描写とは私たちの周囲に広がる三次元の世界を透視図法や陰影法などを用いて二次元である平面上に再現することをめざす試みです。簡単に言えば本物そっくりに描こうとすることで、その作品は基本的に窓を通して三次元の世界を見ているような表現になります。一方、造形表現とは(私の考えでは)絵画や彫刻、映像なども含めて視覚に関わる表現を行おうとする時に考えなければならない色彩や形、構図や空間構成などの問題を、表現を行う上での要素(造形表現の要素)として捉え、それらを用いて何らかの視覚的な表現を行おうとする試みです。
造形表現の要素、とは解りにくいかもしれませんが、例えば音楽には音楽というものを考える上で基本となる要素(音楽の三要素、リズム、メロディ、ハーモニー)があるように、視覚的な表現である美術においても基本となる要素があるということです。
私は19世紀の半ばから20世紀にかけて多くの作家たちの試行錯誤によってこの移行が始まり、進行してきたと思っています。まずそれは「色彩」というものを一つの要素として認識しました(印象派)。そして次に「形」というものについて考えました(立体派)。しかし、この「形」を一つの要素として認識することは難航しました。ピカソは途中でこの試みをやめ、方向転換したと私は思います。クレーは作品上で思いつく限りの実験をしたように思えますが、具象的な形を完全に放棄することはできませんでした。デュシャンは造形表現に限界を感じて、結果的に芸術という広い括りでの表現を切り拓いたように見えます。
美術史に対するこのような私のイメージですが、私にとって大切なことは、この「自然描写から造形表現への移行」が単に過去の歴史というだけでなく、様々な課題を含んだ現在進行中の問題に思える、ということです。まだ終わっていない、という認識です。
自分のこのような認識が正しいのか間違っているのかわかりません。ただ、実際問題としてこれが自分の制作活動の基にあるということだけは言えます。
bottom of page