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​ 石のかたちから

 自宅の近くに相模川という川が流れています。水源は山梨県で全長109km、神奈川県のほぼ中央を北から南へ流れ、最終的には相模湾に至る一級河川です。シーズンになると家族連れなど多くの人たちがバーベキューや川遊びに訪れる広々としたその河原は大小様々な形の自然石で埋め尽くされています。人々は焚火のために周辺の石を集めたり、適当な石を拾っては川に投げて遊んだりします。それは平和なありふれた情景で、私はそのような場所にいてそのような情景を眺めているのが好きです。時には自分も石を投げてみようと思い周囲に無数に転がっている石の中から投げやすそうな形のものを探すことがあります。手ごろな大きさでバランスよく歪でない形の石。できれば円盤のような平べったい形であれば川面を何度も跳ねて遠くまで飛びそうです。

 

 そうやって石を選んでいる時、ふと別の想いが頭をよぎることがあります。それはこれだけ無数に転がっていながら同じ形の石は一つもないという事実に対する小さな愕きであったり、目の前にあるそれらの石がそれぞれそこにそうして在る様な形になるまでの想像を絶する経緯、つまりそれらの石の形の背後にある遠大な歴史とでも言うべきものへの想いであったりします。今掌の上にあるこの石は遥か昔の火山活動によってできたのでしょうか?この大きさ、角が取れた丸っこいこの形になるまで、どこで、どのように、何回くらい、割れたり削られたりしたのでしょう?全く想像もつかないようなことですが、改めて考えてみれば現実に起こったことのすべての結果としてこの石は、このような形で今ここに存在している訳です。

 

 河原の石に限らず、或る物の形が、その時そのような有様でそこに存在していることには様々な経緯や理由があるはずです。この石が今ここでこのような形をしているのはなぜか。どんな経緯でこのような形になったのか。同じように、例えばリンゴの実はなぜこのような形をしているのか。コップはなぜこのような形をしているのか。宇宙の星々はどうしてこのような形になったのか。飛行機はどうしてこんな形をしているのか・・・。

 

 或る物が自然物であっても人工物であってもそれぞれどうして、どのようにしてに今そこにあるような形をしているのか。

 

 それぞれの形の背後にそれぞれが今そこにあるような形をしている理由や経緯があるとして、そのことに何か意味があるのかと言えば、少なくとも私にとってはあるのです。

 

 私は自分を造形作家、色や形(造形要素)を使って自己表現をする作家だと思っていて、これまで色や形を使って作品を制作し、現在もそれを続けています。色や形は私にとって作品を制作する上での大切な道具であり手段であり材料でもあるのです。だからもっと理解したい。理解を深めたい。そしてそれを作品に活かしたいと思っています。特に形(形態)については色(色彩)に比べて研究や考察、理解がまだまだ不足しているという思いが強くあります。形の背後にある(そこにあるものがそのような形で今そこに存在する)理由や経緯について考えることは形というものをより深く理解する第一歩になるように思えるのです。

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